2011年3月29日火曜日

男は味噌汁の具が多すぎるのがきらい?

タイトルの通り、「男はみそ汁の具が多すぎるのがきらい」な人が多いのでは!?
私の周囲の男性、約2名からの推測ですが(笑)。

実家では、「一日○品目」「野菜をたくさん食べる」を目標に掲げていたせいで、みそ汁に具がたくさん入りがちでした。私自身も「これ、具が多すぎない?」と、ときどき不満をもらしていた。ごめんね、お母さん。

しかし、自分でみそ汁を作るようになって、野菜がちょっとずつ余ると味噌汁に入れたくなるということが分かったのです!!! しかし、それをやると、旦那にたいへん不評。

味噌汁の具は二種類ぐらいで、量も少なめがいい。具の種類が多いと味がまざるし、肝心の味噌の味が楽しめない」
「はいはい(確かに、私も実家にいる頃はそう思ってたよ)」。

その後、職場の元上司と飲んだとき、同じようなことを言っていて、驚いた。
元上司「黙って食べるけど、心の中で、(これはさすがに具、多すぎだろ?)とか思ってる」

私は「野菜が余ってたのかもしれないじゃないですか~」と奥さんをフォローしたけど、
けっこう同じような家庭があるのかなと思って、おかしくなってしまった。

他の家庭はどうなんでしょうね?



みそ汁の歌、フルバージョン。一番笑ったのは、「実籾(千葉県の地名)で何をする」のとこ。ごめんね、実籾。

2011年3月27日日曜日

村上春樹ロングインタビューより

文庫を再読中のジョーゼフ・キャンベル『神話の力』について書こうと思います。その前に、村上春樹のインタビューから少々引用。

これは、『考える人』 2010年夏号の記事で、丸三日箱根に缶詰めになって行われた、村上春樹のロングインタビュー。創作技法や物語観などについても触れている貴重なもの。


村上: フレイザーは昔読んだきり、じつはあまり覚えていないんだけれど、『生きるよすがとしての神話』のジョーゼフ・キャンベルなんかはよく読みました。小説を書く役に立つ立たないではなく、ただただおもしろいから読んできたんですが。

おもしろいというか、僕の場合、そういう本に書かれていることは、直接手にすることのできる、英語で言えばタンジブル(tangible)なマテリアルなんです。文化人類学ではそれを、一種のシンボルとかメタファーとかアナロジーとしてとらえるわけですよね。ところが小説家にとっては、シンボルでもメタファーでもアナロジーでもなく、実際に起こることなんです。物語にそれを放り込めば、現実として本当に起こる。それがどのような結果を導くか、その導かれた結果も現実のものなんです。それを見届けるのが小説家の役目なわけ。(中略)

僕が小説家をやっていていちばんおもしろいと思うのは、自分でそういうのができること。アナロジー、シンボル、メタファー、そんなものをどんどん穴に投げ込んで、現実のものにしてしまうことなんです。

村上春樹作品というのは、理性的に考えると「わけのわからない」話が多くて、それでもあれだけ売れるのは一体なぜなのかと、アンチ村上春樹派は考えているのではないかと(笑)。

個人的には、あの「わけがわからないけど“深い”感じ」は、やはりある種の「夢」に似ていると思う。

自我のレベルではなく、夢や無意識、人類に共通する神話のレベルに入り込んで物語を生み出しているので、大勢の人が「理性で考えるとよく分からないけど、面白い」「自分の根っこにかかわる何かが、この物語にある」と“感じる”のではないかと。村上春樹本人も、「“自我”の物語には興味がない」と言っています。

もちろん卓抜した文章力と構成力があるからこそ、“深い”無意識から汲み上げてきても、誰もが楽しめる、面白い物語になるのでしょうが。だからといって、彼の作品には「文章力と構成力しかない」と言いきってしまうのは誤りだと思う。

まあ、このロングインタビューを読むと、村上春樹本人は自分がどのようにして物語を書いているのか、よーく分かっているようなので、誰に何と言われようと気にしないでしょうけど。

2011年3月23日水曜日

今まであたりまえだったものに感謝

電気、水、ガソリン、食べ物、電車、固い大地、何より命があって生きていること、そういう「あたりまえ」のことに対する感謝の気持ちが足りなかったなあと、この時期、思うわけですが、これはきっと今後も忘れてはいけない気持ちだと思うので、書き残しておきます。

「経済」「経済」という観点から書かれた文章を読んでいると、その数年から数十年先しか見ていない狭い視界に暗くなってしまうこともあります。まあ、日本がどんな状況になっても、ひとりひとりがやれることをやっていくしかない、そのとき今感じているような、生きていることに対する謙虚な気持ちを持ち続けないといけないな、と思いました。


厳しいこともあるけど、同時に、美しく、恵み豊かな日本の自然に、感謝します。
お金に決して換算できないものがあるとすれば、祖先から受け継ぎ、子孫に(できるだけ、汚染を残さずに!)引き継いでいかなければならない、この日本の国土のことだと思います。

(写真は初夏の奥多摩)

2011年3月22日火曜日

『寝ながら学べる構造主義』


アメリカのアフガン空爆が始まったとき、いきなり街頭インタビューされたら、「ジョージ・ブッシュの反テロ戦略にも一理あるが......アフガンの市民たちの苦しみを思いやることも必要ではないか......」というのは、とりあえず無難な「模範解答」。(『寝ながら学べる構造主義』p.24)

確かに私も、自然とそう考えていた。「いろんな視点があって、それぞれ意見が違うのは当然だよね。あっちから見たらああ見え、こっちから見たらこう見えるんだよね。真実って難しいし、ひとつじゃないよね」と、なんとなく思っていた。

しかし、こんな考え方が「常識」になったのは、ごく最近のことらしい。

世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたのは四十年ほど前、1960年代のことです。(同p.25)

今は、「ポスト構造主義の時代」と呼ばれている。構造主義の後の時代、構造主義に取って代わる支配的なイデオロギーがまだ存在しない時代のこと。



あるイデオロギーが支配的である、ということは、その用語や概念を使ってみんながものを話すということ。そのイデオロギー自身の批判をするときでさえ、その用語や概念を使ってしかできない、ということ。

マルクス主義が支配的なイデオロギーだった時代もそうだった。しかし、あるとき「もう、その(マルクス主義っぽい)ことばづかいで話すの、やめません?」ということが、なんとなく集団的な了解に達して、マルクス主義は支配的なイデオロギーであることをやめた(p.20)。

構造主義特有の用語は、「システム、差異、記号、効果……」など。
いずれは、構造主義的なことばづかいで話すことにも、「みんなが飽きる」ときがやってくると著者は言う。

構造主義とは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なことで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。

むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆれ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。(同p.25)

ところで、私が、「すごーい、構造主義って、こういう今となっては当たり前のことを言ってたんだー。全然知らなかったー」と旦那に報告したら、(は? 何を言ってるんだ?)という顔で、「普通は、大学に入ったとき周りがみんな知ってるので、焦って本を読むものじゃないか?」と言われた。悪かったねー!




さてこの後、構造主義前史として、思想的「地ならし」をした人たち、(ヘーゲル、)マルクス、フロイト、ニーチェの紹介。続いて、構造主義の始祖として、ソシュール登場(「名前を持たないものは存在しない」、シニフィアンとシニフィエ)

それから、構造主義「四銃士」、フーコー(系譜学的思考)、バルト(記号学、エクリチュール、テクスト、俳句好き)、レヴィ=ストロース(文化人類学者、サルトルの実存主義に死亡宣告、音韻論、贈与のシステム、親族制度の分析、「人間とは何か」という根本的な問い)、ラカン(鏡像段階、エディプス)の紹介。内田先生、レヴィ=ストロースが好きなので、力が入ってる。

読み終われば、あとがきのこの言葉もうっすら意味が分かります。

そういう年回りなってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。

レヴィ=ストロースは「みんな仲良くしようね」と言っており、
バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、
ラカンは「大人になれよ」と言っており、
フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

年を取るのも捨てたものではありません。(同p.199-p.200)

写真は、一体何が構造主義的な写真なのかよく分からなかったので、2006年の南アフリカ旅行のもの。

2011年3月19日土曜日

夢について

「夢は自分の精神状態についての汲めども尽きない情報源です」
(ジョーゼフ・キャンベル、『神話の力』 p.107)

今日は、印象的な夢を見たので、それについて書こうと思うが、その前に夢について少し。

私は大学生のころから夢日記をつけている。夢日記といっても、面白い、印象的な夢を見たとき書きとめるだけだけど。

夢はすぐに忘れてしまうので、できるだけ早く書きとめるのがコツ。ただし、あまりにも毎晩何回も夢を見るようになったときは、夢日記は中止すべき。私の経験では、夢を見すぎるのは心のタガが緩んでいるときだから。

仕事をしていると夢を見ないというが、私も仕事が忙しかった十年間は、ほとんど夢を見ていない(疲れすぎたときに見る典型的な夢はあった)。ほとんど仕事をしてない今、少しずつ見るようになったけど、それでも大学時代ほどではない。深く、印象的な夢は、一週間くらいそれについて考えこんだりする、負荷のかかるものなので、現実が忙しいときは自然とセーブされているらしい。

また、私の母親のように忙しさに関係なく、まったく夢を見ないか、現実の続きのような非常にリアルな夢しか見ない人もいる。外向的な人に多いような気がする。そういう人は、夢に目を向ける必要はないと思う。

内向的な人は、夢で自分を知ることができ、外向的な人は、外の世界で自分を知ることができる、と聞いたことがあるが、当たっていると思う。それぞれ個性というか、タイプが違うだけ。

というわけで内向的な私は、10年以上夢とつき合ってきて、冒頭のキャンベルの言葉はかなり正しいと思っている(^-^)。


写真はスースの海の夜明け。無意識は水で表わされることが多いので。

2011年3月18日金曜日

ビデオ・動画の上手な撮影ルール12

このあいだ、チュニジア旅行で撮った動画を編集してみたのですが、


はっきり言って、素材となる動画が、超 ヘ タ !(笑)
MacbookProのiMovieは感動的に分かりやすい動画編集ツールなのに、チュニジアは本当に景色も美しかったのに、撮った動画がこれほどまでにイマイチではどうにもならん。

そこで、急遽、ビデオカメラの上手な撮影方法の本を何冊か読み、「これだけ守れば、多少見られるものになりそうだ!」というルールだけメモしました。(素人には難しそうなものは無視しましたが)

ちなみに、ビデオカメラの選び方ではなくて、「撮り方」です。最近は、携帯でもそこそこの動画が撮れるので。


ビデオ・動画の上手な撮影ルール12

1. 撮影時は、両手でカメラを持ち、ワキを必ず締める
手ブレは減らしたいが、人間の脳は目から送られてくる映像を常に補正して、滑らかに認識しているので、自分ではスムーズに動いたつもりでも、動画を再生してみるとガタガタしていることは多い。プロは、重いカメラを肩に乗せて安定させ、腰から下を柔らかくして、カメラを揺らさないように撮るので、綺麗な映像が撮れる。

2. 実は、動画は「動いているものを止まって撮る」が基本
初心者は「面白いだろう」と思って手持ちの歩き撮りをしたがるが、テレビ番組でもカメラが止まっていることは多い。

3. 動画は、視聴者が内容を認識するのに時間がかかる
すぐに対象や状況が分かるもの ― 10秒以上
すぐには対象や状況が分からないもの ― 20秒以上
は、じーっと我慢して撮る。 ワンカットがこれより短いと編集で使えない。
撮影者はビデオカメラの外の状況が分かっているが、視聴者はそうではない。
パッパッとカメラを動かすのは初心者がやる悪いくせ。

4. 「引き」と「寄り」の両方を撮る
その場の状況が分かる遠景の「引き」と、注目すべき情報をアップにした「寄り」を両方撮っておくと、編集で使いやすい。

5. ズームは多用しない
ズームは人間の目にはない機能。多用すると、目が疲れるだけの動画になる。

6. どう撮るか決めてからカメラを回し、一度カメラを回したら迷わない
ファインダーを覗きながら、撮影する対象を探してはいけない。

7. パン(カメラを左右に動かすこと)、ティルト(垂直に動かすこと)は、最初と最後の構図を決めてから撮る
広大な景色などをカメラを左右に動かして撮ることを「パン」、高いビルを見上げるようにカメラを上下に動かすことを「ティルト」という。「パン」「ティルト」は、はっきり言って最初と最後の画さえ美しければ、間は重要ではない。

1. 構図とスピードを決め、編集でカットすることを考え、最初の画で5~10秒撮る
2. 少しずつカメラの移動を始め、落ち着いてカメラを動かし、最後はしっとりと止める
3. 最後の画で、また5~10秒撮る

なお、手持ちの歩き撮りは、素人はまず間違いなく失敗するとか(笑)自分は止まっていて、動く対象を追いかけてカメラを回すフォロー・ショットのほうがまだよい。

8. ビデオのフレーミングは写真と違い、ほぼ二種類しかない


9. 尺の真ん中にベストシーンがあれば最高
「尺」とは、テレビなどの専門用語らしいが、動画の「時間」のこと。状況認識のために数十秒~ベストシーン(たとえば、子どもたちの最高の笑顔、など)~余韻にまた数秒、というようなカットが撮れるのが最高。運にも左右されるが。

10. 使える素材になりやすいのは
美人、魅力的な顔の人、子ども、動物、見慣れないもの、美しいもの、複雑なもの、派手な色のもの、動くもの、音がするもの、など。

11. 「X」を伝えるには、「Y」という画が必要、と考えるくせをつける
「イベントのにぎわい」を伝えるためにはどんな画があればいいか? など、視聴者の視点になって考えてみる。空や看板、観客などの無難な映像も撮っておくと、インサートショットとして使える。

12. カット編集について
iMovieですごく簡単にできるカット編集。初心者がいくつか気をつけたいことは?

1. 極端なサイズ違いの動画をつながない
同じシーンなのに、遠景の直後にズームアップするなど。視聴者がついていけない。

2. 同じポジションの動画をつながない
コマ落ちに見えてしまう。できれば別角度の動画を挟みたい。

3. トランジョンは正確に使う
トランジョンとは、場面と場面の切り替えの効果のこと。フェード、ワイプ、ディゾルブなどがある。これは、出来事の性質が変わったときに使う(それ以外はカットつなぎ)。好みだとは思うが、動画編集ソフトにはトランジョンの種類がありすぎるので、なんでもかんでも使うと見ているほうは疲れる。

……ほかにも、いろいろあるのでしょうが、長くなってきたのでこのへんで。

間違い等ありましたらご指摘ください。ただ、私はもちろん(笑)、「映像のプロになるぜ」とかいうわけでは全くありませんので、あんまりむずかしいことは……(^-^;)。


うーん、あらためてチュニジア動画を見ると、耳が痛いことばかり(>_<)。
これで、次の旅行からはも少しマシな動画が撮れるといいな。

2011年3月16日水曜日

わが家の内田樹センセイ本

こんなときに普通の記事を書くのはどうか、と思っていたのですが、今日からは再開(予定)。


昨年、『街場のアメリカ論』を「けっこう面白い」と思ってから、少しずつ買い集められた内田先生本♪
ただ、本棚のスペースの関係で、新書以上の大きさの本は買わないというのがうちのルール。

全部が全部、同意できるわけでもないのだけど、総体的には楽しく、一冊ずつ拝読中。『寝ながら学べる構造主義』は分かりやすさという点で名著! 文学部を出ているくせに、自分がいかに教養がないかということがよく分かりました(笑)。バルトとレヴィ=ストロースを読みたくなった。

2011年3月11日金曜日

SAIに再挑戦(しゃれじゃないよ)

ずっと昔、少しいじって放置していた、SAIというお絵かきソフトに再挑戦。わたしは中学、高校と美術部でした(^^)。

SAIというのはとても安価で、そのわりには、IllustratorとPhotoshopのいいところを合わせたようなCGイラスト作成ツール。じゃないかと思う。使いこなしてないから分からないけど(おい)。まず素晴らしいのは、マンガの「ペン入れ」、つまり入りと抜きのある線をごく簡単に描けること。これは今のイラレではどうか知らないが昔のイラレでは非常に手間がかかった。

ほんとに突然だしマニアックだけど(笑)、源氏物語絵巻「橋姫」を写してみる。というのは、下記の本の「Advanced 02」みたいに色をつけられたらなあって……しかし、そう簡単にはいかなそう(>_<)。源氏物語と源氏物語絵巻については山ほど書きたいことがあるけど、また後で。


原画は、宇治十帖で、薫が八の宮の姫君たちを覗き見るシーン♪

放置していたSAI本はこちら。この人は、高河ゆんの関係者なの? とっても絵柄が似てる。

2011年3月10日木曜日

『ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階』

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階
ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(James C. Collins),山岡 洋一

経営者にはなったことがないから分からないが、従業員の観点からいうと、この本は買って読むほどのことはない本だ(買ってないけど(笑))。たとえ今勤めている会社がほんとうに衰退の五段階のどこかにいたとしても、役員クラスでもなければ会社の進む方向を変えるのは難しい。力のない従業員がこんな本を読んだら、「こことここが当てはまる。うちは第三段階だ」など、日ごろの不満に対する鬱憤晴らしのネタになるだけの可能性大。

それにしても、どうしてこう、物足りない読後感なのか(笑)。

たぶん、科学的な態度で一般化をすることで、衰退する企業についての深い実感のようなものが抜け落ちてしまったのかもしれない。人間の性格をタイプであらわしても、その人と実際につき合うときにはあまり役に立たないように……。

 偉大な企業はいずれも、何よりも、みずから自分を管理する人材、みずから動機をもつ人材に依存している。(中略)規律の文化というと、規則や硬直性や官僚制が特徴になっていると思えるかもしれないが、実際には正反対である。適切な人材が集まり、各人が責任を受け入れていれば、大量の無意味な規則や愚かな官僚制度はそもそも不要になる。
(p.101-102 『第二段階 規律なき拡大路線』、一部勝手に下線)

このページに書かれていることは納得できることばかりだった。でも、それはわたしの会社員生活の記憶がベースにあるからで、人によっては言葉の意味は理解できても、それほどピンとこないかもしれない。経営者はこういった抽象的で一般化された記述を、どのくらい自分の会社に引きつけて考えられるのだろうか? 深い実感とともに緊迫感を持てるのだろうか? 著者も、科学的な一般化のつまらなさに気づいて(いや、一般化は大切だけど)、付録に個別の企業の事例を入れたのだろう。

今働いている人たちのリアルな悩みという点では、下記のブログも面白い(^^)。

『職場を生き抜け!』
編者の会社観はわたしには少し古いように思えるけど、きわめて現実的ではある。それに、読者からのコメントが面白い。皆、それぞれの会社でいろいろ考えて、生き抜いているんだなあと思った。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92290/

【メモ】
企業の衰退の五段階:第一段階「成功から生まれる傲慢」、第二段階「規律なき拡大路線」、第三段階「リスクと問題の否認」、第四段階「一発逆転策の追求」、第五段階「屈服と凡庸な企業への転落か消滅」。

2011年3月7日月曜日

パタゴニアのお土産

お義父上からのパタゴニアのおみやげ。ペンギンはラピスラズリでできています。

この親にしてこの子あり(海外旅行がお好き)……というお義父上、じつは、子どもの頃集めたかなりの数の鉱物(岩石?)標本をお持ちです。当時はまだ、国内の鉱山の多くが閉鎖されていなかったので、手紙を書いて送ってもらったりしたそうです。少年とはいえ、凝り性の旦那のお父上ですから、一つ一つのラベルもしっかりしており、私みたいに「水晶ってキレイだから」と軽いノリで集めたものではありません。国産水晶もありそうなので、いつかしっかりと写真におさめたいものです(笑)。

←ところで、この蒼い石はラピスラズリだよね?(後は……?)

2011年3月6日日曜日

三鷹の森ジブリ美術館


三鷹の森ジブリ美術館です!

ずっと行ってみたかったあ。

吉祥寺のローソンでチケットを交換し、井の頭公園に沿って、てくてくと15分。
指定時間の30分後までしか入場できないとあって、ちょいと焦りました。

平日なのにかなり混んでいました。外国の方も多かったな。

ここは、屋内写真撮影禁止なんです。
確かに、各作品のステンドグラスとか、いちいち撮りたくなるものねえ。


入場券は、入り口でフィルムに替えてくれる。
わたしは『ハウル』の最後のほうのシーンでした! 嬉しい!


ちいさな屋上に、守り神のラピュタロボ。写真撮影の列ができてました。


カフェは満席でしたね。

今、上映しているミニ映画は、『パン種とタマゴ姫』。パン種、けっこう可愛かった。白くてふわふわのぬいぐるみも売っていた。
でも、わたしはいつか、『星をかった日』を見てみたいなあ。すごーく女子好みな気がするんだけど(画像検索)!


ポケデジでも撮ってみました。
これはこれで、別世界みたいでいい感じ?


それにしても、何だかジブリの映画が見たくなってきた。『ハウル』借りようかな。